耕作放棄地の崩れた棚田をそのままで再生してみる#5水が動く

再生というほどでもないが、耕作放棄地の棚田に小さな田んぼをつくってみようと少しずつ手作業で開墾している。
ノコギリ鎌と小さなノコギリだけで。

少しずつというか、少しずつしか進まない。
こんがらがった草木をほどきながら、白い息でつぶやく。

空って、こんなに遠かったかな。

スポンサーリンク

空をほどく

腰をかがめて、草木笹竹が密集している場所に入り込む。
顔を上げようとすると、帽子が引っかかって落ちてしまう。
そんなことを何度か繰り返し、見上げると空が見えない。

暗い。
やだやだ、なんだか怖い。
早く、早く、刈ってしまおう。

今日は、ここから。

笹がびっしりと生え、背丈の倍くらいに育って陽射しを遮っている。
この笹を刈れば、陽があたるようになる。
ところが、刈ったからといって、簡単に倒せるわけではない。
いろいろな草木が生長過程で複雑にからみあっている。

なんだなんだ、このからみぐあい。
もはや、ほどける気がしない。

さらに、それをまとめているのが蔓だ。
こいつは、引っ張っても、引っ張っても、とれない。

刈ってしまうと、弓のようにはじけて飛んで、手の届かない上のほう、はるか上空でぶら下がってしまう。
引っ張っても取り切れず、あきらめて刈ってしまって、結局あちこちにぶらぶら垂れ下がっている。


古木を刈ると、この木にも穴があいて空洞になっている。
この現象は、何だろうか?

虫が侵入して巣をつくったのか、中心部から枯れているのか。
調べてみたけれど、これだ!という原因は見つけられなかった。

この刈った枝木をずるずる引っ張って、蔓を断ち、野いばらを断ち、ほどいていく。

ざっくり、ざっくり。
細部はあえて、残していく。
整えたりはしない。

自然は、人が整えたようには落ち着かない。
かわいらしい草さえも、夏には勢いを増して、畑を覆い尽くす。

ちっとも進まないな。
それでも、ちょっと空が見えてきた。

曇っていて、なかなか晴れない。
お山の畑に陽が射したのは、12時から13時半ごろの一時間半程度。
作業中の日中気温3~11度。
作業時間は12時半から13時半の1時間。

はじめは寒くても、だんだん暑くなって、真冬に汗をかきながら開墾している。

水はどこを動くのか

開墾が進むにつれて、田んぼの土が見えるようになってきた。

この崩れた状態のまま、地形は安定しているようだ。
枯れ葉や草に埋もれているが、なるべく取り除いたり、抜いたりせず、このままの状態で苗を植えつけるつもりだ。

そのためには、水がどこを動いているのかが大切になってくる。
止めたり、ひいたりせず、そのままにしたい。

作業できるのは、月に数日。
手をかけずにつくりたい。
そんなやり方じゃあ、米なんて、できっこないよと言われても、
できる方法を探すしかないし、そこがおもしろい。

刈り進むにつれて、見えてきた。
棚田は崩れたまんまで、水も崩れたところを通っているようだ。

濁ったり、よどんだりしていれば、自然の循環はあまり行われていないかもしれない。
通り道をたどってみると、どこも澄んでいる。
私が踏むと泥水に変わるが、時間がたてば、まだ澄んだ水がチョロチョロと流れていた。

この水がどこから湧き出ているのか、わからない。
かつて、お山の水源から引っ張ってきた痕、壊れた配管からは水は流れてこない。
自然の水がどこからか流れ込んでいる。
生育時期は、どれくらいの水量があるのか、その頃になってみないと、これもまた、わからない。

ゴミ化した農業資材をどうするか

開墾は楽しいが、困ったこともおきている。
ゴミというには、巨大すぎるグリーンのシートが現れた。
これは、いったい、どうしたらいいものか。

傷んではいるが、朽ちることなく残っている。

撤去したほうがいいのか?
そもそも、ゴミなのか?

おそらく、台風の大雨による濁流とともに流れてきたものが、そのまま草木に引っかかって残っているのだと思う。
片づけることが、この場を整えることになるとも限らない。
取り除いてしまえば、ゴミが片づいたように見えるだけかもしれない。

このままでもいいような気もするので、しばらく眺めていよう。

よくなると思って、手をつけても、逆に自然の姿を壊してしまうこともある。
自分が草を刈り、土を動かした、その場所の植生が変化していくのをいつも見守っている。